大判例

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岐阜地方裁判所 昭和36年(ワ)314号 判決

原告 大東興業株式会社

被告 木原造林株式会社 外一名

主文

一、原告と被告両名との間において、別紙〈省略〉五千分の一測量図中国界215(営林署が国有林の界標として設置したコンクリート柱で表面に二一五号昭和三一年八月一四日古川営林署と刻まれている標柱のある地点)を基点として、東方へ番号順に国有林の界標を辿り国界258に至り、同地点から北方に20点を経由して21点に至る樺色の線、同地点から西方に22点、23点、24点を経由して25点に至り、同地点から西方ヘジヨロジヨロ谷を辿つて26点に至る茶色の線及び同地点から大長谷川沿いに南進して国界215に至る樺色の線をもつて囲まれた範囲の山林(岐阜県吉城郡河合村大字二ツ屋字四百間二二五番の二保安林)並びに古90(古川営林署の設置した測量図根点90の標柱のある地点)を基点として、17点に至る赤色の直線、同地点から大長谷川にそつて26点に至る樺色の線、及び同地点から7点を経由して古90に至る緑線で囲まれた範囲の山林(同村大字二ツ屋字青はげ二二六番の二保安林)が原告の所有であることを確認する。

二、被告木原造林株式会社は第一項の山林内に立入り、或いは右山林内の立木の伐採、搬出をしてはならない。

三、原告その余の請求を棄却する。

四、訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の負担とし、その一を被告らの各負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

原告訴訟代理人は「一、原告と被告両名との間において、別紙五千分の一測量図(以下図面という)中の樺色の線をもつて囲まれた範囲の山林(岐阜県吉城郡河合村大字二ツ屋字四百間二二五番の二保安林六二町六反七畝二五歩、以下二二五番の二山林という。)と赤線及び大長谷川をもつて囲まれた範囲の山林(同村同大字字青はげ二二六番の二保安林二〇町一反六畝、以下二二六番の二山林という。)が原告の所有であることを確認する。二、被告木原造林株式会社(以下被告会社という)は右山林内に立入り、或いは右山林内の立木の伐採、搬出をしてはならない。三、被告会社は原告に対し金一、二〇〇万円及びこれに対する昭和三六年八月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。四。訴訟費用は被告両名の負担とする。」との判決並びに第三項につき仮執行の宣言を求め、被告ら訴訟代理人らは「一、原告の請求を棄却する。二、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、当事者双方の主張

一、原告訴訟代理人は請求の原因として、

(一)  原告は昭和九年五月三〇日高山区裁判所昭和九年(ノ)第一四号不動産競売事件の競落許可により右二二五番の二山林及び二二六番の二山林の所有権を取得し、同年六月二三日その所有権移転登記手続を了した。

(二)  二二五番の二山林の範囲は図面中、樺色の線をもつて囲まれた範囲であり、被告ら主張の富山県婦負郡八尾町東瀬戸一三番の山林(以下一三番の山林という)との境界は図面小白木峯から10点に至る樺色の線をもつて示された線であり、また二二六番の二山林の範囲は同図面中、赤線及び大長谷川をもつて囲まれた範囲であり被告ら主張の同町東瀬戸一四番の山林(以下一四番の山林という)との境界は図面9点から古90に至る赤線をもつて示された線である。従つて右境界線は岐阜県と富山県との境界でもある。

(三)  被告会社は昭和三三年頃から昭和三六年八月四日頃までの間原告の伐採禁止の要請を無視して右山林内に立入り、右山林内のぶな立木二万石を伐採搬出した。しかして右立木の石当り単価は金六〇〇円であるから原告は被告会社の不法行為により合計一、二〇〇万円の損害を蒙つた。

(四)  被告八尾町は右山林の土地につき所有権を有し、かつ右山林内の立木につき権利を有する旨主張している。

(五)  原告が前記原告主張の境界線をもつて、二二五番の二山林と一三番の山林並びに二二六番の二山林と一四番の山林との各境界従つて岐阜県と富山県との県境であると主張する根拠は以下述べるが如き理由に基くものである。

(1)  徳川時代寛文年間飛騨国吉城郡小豆沢村他四ケ村と越中国、婦負郡桐谷村他三ケ村との間に国境論争があり幕府評定所は延宝二年絵図面を附した裁許状を双方に交付して国境線を裁決した。右裁許状によると右両国の境は「小豆沢、八町下西両国境の石塚より小かや平の尾通久布須北の谷、白木ケ峰より西方境谷、金剛ケ嶽峯通」と記載されており、又絵図面にはその旨墨筋が引かれている。ところで本件係争の県境は右裁許状に示された国境のうち白木ケ峯より西方境谷、金剛ケ嶽峯通が、これに該当するが、右にいわゆる白木ケ峰は現在の白木峯に金剛ケ嶽が現在の金剛堂山に、西方境谷は大長谷川、西瀬戸川合流点にそれぞれ該当するものと推測される。このことは徳川時代作成の飛騨国中全図及び明治二三年輯製陸地測量部地図によると本件県境がいずれも白木山より西方西瀬戸川、大長谷川合流点へ、同地点から金剛堂山へ上つておることと符合していることから牽強附会ではない。被告らは右裁許状絵図に記載された西方境目石垣は図面5点の地点に該ると主張するが、右裁許状の東方境目石垣が飛越交通の伐塞箇所として最も狭隘な地形に構築せられ、かつ現存しないことと比較すると西方境目石垣も被告ら主張のような平旦地に構築せられたものとは考えられず、右絵図面よりみるも白木山稜線上にあること明白であり、且つ右石垣もまた多年の間に埋没、崩壊しているものと考えられる。

(2)  その後飛騨側地域は幕府直轄の天領となり数次にわたり山林の検野がなされ、その記録は御林山内箇所附帳として現在残つているが右附帳によれば上白木ケ峯、金剛境谷山がそれぞれ越中国境とされていることは右裁許状の境界線と符合するものである。

(3)  明治三九年吉城郡坂下村大字万浪字小坂谷外一三国有林境界査定が行われ隣接地籍の所有者に対し立会が求められた際図面国界1から1点(小白木峯三角点)までは字四百間山林の所有者訴外中川源次郎の代人今井慶三が、1点から以北の境界線は字東瀬戸の所有者大長谷村村長訴外浅木重美がそれぞれ立会つている。このことは右隣接所有者が国界1から1点までの隣接地が字四百間であり、同地点(木白木峯)以北が大長谷村所有山林であることを確認したものである。

(4)  明治一五年楢峠からコンクリート橋まで古川八尾間郡道第一号線を訴外河合村で敷設し、現林道開設まで二ツ屋村全員、河合村課役により毎年七月二九日右郡道の草刈を行つている。

(5)  昭和二九年九月頃訴外名古屋営林局立会の下に原告及び大長谷村関係者が現地で接渉した際、大長谷村側は図面7点から尾根通りづたいに小白木峯に至る線が境界線であると主張している。

(6)  被告主張の古90から21点に至る境界線は峯谷筋目なき所で右裁許状にいわゆる尾通りに該当しない。また前記境界査定の際訴外富山県知事は営林局に対し「峯水谷尾界をもつて境界と信じおる」旨回答しているが右尾界にも該当しない。

(7)  大正六年測図昭和五年要部修正、地理調査所白木峯五万分の一地図には本件係争部の県界が記入されているが、昭和二八年応急修正において、その一部を削除して、地理調査所自体その誤りを認めている。

(8)  図面7点まで富山県側で林道を開設しているが、右林道の起業にあたり、昭和一一年頃大長谷村会議員が河合村役場に来て林道の一部が河合村に乗り入れることについて諒解を求め、更に土地所有者である原告の諒承を求めている。

(六)  よつて被告両名に対し原告主張の範囲の山林が原告の所有であることの確認と、被告会社に対し、右山林内への立入及び地上立木の伐採搬出禁止並びに不法行為による損害賠償として金一二〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和三六年八月三〇日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。

と述べ、被告らの時効取得の抗弁に対し、

被告の時効取得の抗弁を否認する。仮りに被告らの主張する占有関係が認められるとしても本件山林の境界は公図をみれば識別できるから被告主張の占有は悪意の占有である。

と述べた。

二、被告両名訴訟代理人らは、本案前の抗弁として、

本件訴は富山県婦負郡八尾町と岐阜県吉城郡河合村との境界が確定することを前提とするものであることは原告の主張自体明らかである。ところで右八尾町と河合村との町村界の争いは徳川時代から争われてきたものであるが、このように地方公共団体間の境界が分明でなく、かつその境界に関し争論のある場合は地方自治法に定める特殊の手続によつてその境界が定められることとなつている。本件訴訟は右の手続を経ないで、私法人間の争訟としてたやすく裁判所に対しその判断を任せたものであり、このことは市町村界の確定という地方自治法上の先決問題を無視した訴訟で現行法上許されないところであるから本件訴は却下されるべきである。

と述べ、請求の原因に対する答弁として、

(一)  請求の原因第一項は不知

(二)  同第二項は争う。

原告が二二五番の二山林の範囲と主張する地域中図面5点から21点を結ぶ緑線以北の地域は富山県婦負郡八尾町切詰外三三ケ村入会東瀬戸一三番保安林九二町四反歩に、原告が二二六番の二山林の範囲と主張する地域のうち図面古90と26点を結ぶ緑線以西の地域は同町同字一四番保安林五二町三反三畝一〇歩にそれぞれ属するものである。そして右一三番及び一四番の山林の土地は被告八尾町の所有であり、右地上の立木は被告会社の所有である。従つて二二五番の二山林と一三番の山林との境界、二二六番の二山林と一四番の山林との境界はそれぞれ右緑色の線である。そして岐阜県と富山県との本件係争部分の境界線は図面1点から南下して21点に至る樺色の線、同地点から5点に至る右緑線、同地点から26点に至る樺色の線、同地点から古90に至る緑線によつて示される線である。

(三)  同第三項は否認する。

(四)  同第五項について

(1)  原告主張の裁許状の絵図は江戸時代に作成されたいわゆる絵図面と称するもので不正確であるのみならず、作成者がどの地点から展望したかによつて解釈が異なつてくるが、これを万波方面から展望して書いたものとみるのが妥当であり、そうすれば、右絵図面による県境は被告ら主張のようになる。また右絵図面の西方境目石垣が白木綾線にあつたとする原告の主張は何ら客観的根拠に基くものではない。仮りに右裁許状の国界の意味するところが原告主張のとおり白木峯より西方にのびる線であるとしても、甚だ正確性を欠くのみならず、明治以降その線が県境として取扱われてきた事実はなく、かえつて地理調査所作成の五万分の一の地図によれば被告主張の線が県境として記載されている。もつとも右地図昭和二八年版以降は県境が小白木峯から南下し図面21点で切れているが、記入されていない部分は空中撮影により修正する必要を認めた結果、県境を簡単に記入できなくなつたもので、その部分の境界が昭和二七年版までの地図の境界と甚しい相違を来すものではない。明治二三年輯製地図は二〇万分の一の地図であつて右五万分の一の地図と比較すれば正確ではない。

(2)  原告主張の国有林境界査定の際図面国界1から1点まで訴外中川源次郎の代理人訴外今井が隣接地の所有者として立会つたとしても、これをもつて県境が小白木峯から原告主張の方向にのびていると判断することはできない。

(3)  本件係争地域の立木を被告会社の前所有者訴外富山木炭株式会社が昭和一九年頃伐採搬出したが、原告はこれに対して何らの異議も申出なかつた。

(4)  富山県は昭和二六年から昭和二九年にかけて大長谷川にそつて林道を開設し、その南端は図面7点に達しているが、右工事につき河合村は何らの異議を申出なかつたが、このことは県境が同地点を通るものであることを認めていたことを物語る。この点につき原告は富山県から同所が岐阜県地内であるという理由で河合村及び原告に右工事につき承認を求めに来たと主張するが、地方自治体が自費を投じて他県に道路を開設する筈がなく、富山県は当時河合村に富山県側林道の南端に岐阜県側も林道を開設し両県の通行の便宜を図るよう申入れたに過ぎない。

(5)  岐阜地方法務局古川出張所備付の、青はげ、四百間の図面によれば、河合村字原金山から大長谷村の村境即ち県境まで八五五間となつているが、現実に原金山より八五五間の地点は被告ら主張の県境が通る図面7点である。

(6)  昭和五年陸地測量部から現地査察に来た時河合村村長も立会いの上県境が被告主張の線であることを確認している。

従つて原告の主張は失当である。

と述べ、抗弁として、

一、仮りに被告らの主張が認められないとしても、被告会社は取得時効により本件係争地域の立木の所有権を取得した。すなわち右地域の立木は昭和一四年八月二七日他の地域の立木と共に大長谷村(後に被告八尾町と合併した)から訴外重原正重に売渡され、同年九月一二日から同月二一日までの間に周囲境界地点の立木又は岩石に〈界〉記を付して引渡を完了した。その後右立木は転売され、被告会社は昭和三一年七月一〇日前所有者訴外富山木炭株式会社からこれを買受けその引渡しを受けた。右重原は立木を占有し始めるについて善意無過失であつて爾来平穏公然に今日まで所有の意思をもつて占有は引き継がれてきている。従つて右重原の占有の時から一〇年を経過した昭和二四年九月二二日前主である右富山木炭は時効により右立木の所有権を取得し、被告会社もまた前記売買によりその所有権を取得している。また右重原が立木の占有につき善意無過失でないとしても、その占有の時から二〇年を経過した昭和三四年九月二二日被告会社は時効により右立木の所有権を取得した。

二、右立木は独立の不動産でないから地盤たる山林と共にするに非ざれば立木のみにつき取得時効は認められないとしても、大長谷村は本件係争山林を自己の所有として前記のとおり右山林内の立木を右重原に売渡したのであり、そして立木は売渡したけれどもその土地は大長谷村の所有として爾来所有の意思をもつて平穏かつ公然に占有を継続しているから昭和二四年九月二二日大長谷村は時効により右山林の所有権を取得した。また大長谷村の占有開始につき善意無過失が認められないとしても、昭和三四年九月二二日被告八尾町において時効により右山林の所有権を取得したことになる。

と述べた。

第三、証拠〈省略〉

理由

第一、本案前の抗弁について

被告らは本件訴は町村界の確定を前提としているところ、町村界の確定については地方自治法に特殊な手続が定められているから、この手続を経ない本件訴は不適法であると主張するので、先ずこの点につき判断するに、本件訴の理由の有無についての判断は原被告間に争のある富山県婦負郡八尾町と岐阜県吉城郡河合村との境界の一部を認定することが前提となるものであることは被告ら主張のとおりである。

そこで地方自治法の規定をみるに、同法は、市町村の境界に関し争論があるときは、都道府県は関係市町村の申請に基き、同法第二五一条の規定による自治紛争調停委員の調停に付することができ(第九条第一項)、同条の規定によりすべての関係市町村の申請に基いてなされた調停により市町村の境界が確定しないとき、又は市町村の境界に関し、争論がある場合において、すべての関係市町村から裁定を求める旨の申請があるときは、都道府県知事は関係市町村の境界について裁定することができ(同条第二項)、右裁定に不服があるときは関係市町村は裁判所に出訴することができ(同条第八項)都道府県知事が右の調停又は裁定に適しないと認めてその旨通知したとき等において関係市町村は裁判所に市町村の境界の確定の訴を提起することができ(同条第九項)、そして更に都道府県知事の権限に属する市町村の事件で数都道府県にわたるものがあるときは関係都道府県知事の協議によりその事件を管轄すべき都道府県知事を定めることができ、右協議が調わないときは、自治大臣は、その事件を管轄すべき都道府県知事を定め、又は都道府県知事に代つてその権限を行うことができる(同法第二五三条)旨定めている。そして本件係争境界について右の手続がなされていないこと、又近い将来そのような手続が予期できないことは当裁判所の岐阜及び富山両県知事への照会に対する回答により明らかである。

しかしながら右条項は関係市町村の間乃至数都道府県に亘る市町村の間で境界に関し意見の相違があるため紛争が生じた場合における境界確定の手続を定めた規定であつて私人間における境界についての紛争の解決を予定するものではない。従つて右調停、裁定又は訴訟はいずれも関係市町村の申請又は提起に基くことを必要とするものであつて、私人である原告が右手続による境界の確定を求め得ないことは右条項により明らかであるから、若し仮りに被告ら主張のように原告の本件訴が右手続による境界の確定がなされていない以上不適法となるとするならば、原告は被告らにより原告主張のように所有権の侵害を蒙つているにも拘らず関係市町村が右手続をとらない限り裁判所による救済を拒否されてその侵害に甘んじなければならないという不都合を来す結果となる。

他方また原告の本訴請求、殊に山林所有権確認の訴は前記のとおり既に客観的に存在する八尾町と河合村の町村界、従つて岐阜県と富山県との県界の一部についての確認を前提とするが、しかし境界確定の訴ではないから、境界についての確認は単に理由中において判断されるにすぎず、それ自体既判力を有するものでない。従つて右地方自治法の規定と抵触する虞れもないと考えられる。

以上の理由で被告らの主張のように右地方自治法の手続を経ていないからといつて原告の本件訴を不適法とするいわれはないから被告らの主張は採用しない。

第二、山林所有権確認請求について

一、成立に争のない甲第一号証、乙第一四、一五号証及び原告代表者本人尋問の結果によると、原告(旧商号斉藤汽船株式会社)は昭和九年五月三〇日競落許可決定により岐阜県吉城郡河合村二ツ屋字四百間二二五番山林一七二町八反歩及び同村二ツ屋字青はげ二二六番山林七二町歩の所有権を取得し、同年六月二三日その旨の登記手続を了したこと、そして前者を昭和三〇年一一月七日同所二二五番の一保安林一一〇町一反二畝五歩及び同所二二五番の二保安林六二町六反七畝二五歩(以下二二五番の二山林という)、に分割し、後者を昭和三一年一月一六日同所二二六番の一保安林五一町八反四畝歩及び同所二二六番の二保安林二〇町一反六畝歩(以下二二六番の二山林という)に分割のうえ、二二五番の一保安林を農林省に売却したことが認められる。

二、成立に争のない乙第七、八号証、成立に争のない乙第二七号証の二により真正に成立したと認められる乙第一号証の一一、一二、証明部分の成立については争いがなく、その余の部分についてはその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第二、第三号証により、富山県婦負郡八尾町切詰外三三ケ村入会字東瀬戸一三番保安林九二町四反歩(以下一三番の山林という)及び同所一四番保安林五二町三反三畝一〇歩(以下一四番の山林という)の土地所有者が被告八尾町であり、右地上立木の所有者が被告会社であることが認められる。

三、そこで原告が確認を求める二二五番の二山林及び二二六番の二山林の範囲について判断する。

(一)  先づ二二五番の二山林と一三番の山林及び二二六番の二山林と一四番の山林との境界、(それは同時に図面小白木から古80に至る岐阜県と富山県との境界線でもある)について検討する。

(1)  成立に争のない乙第六号証の一部、同第一二号証の一、二、同第二七号証の一、三、その方式及び趣旨により真正に成立した公文書と推定される同第一三号証、成立に争のない乙第二七号証の五により真正に成立したと認められる乙第五号証証人烏帽子田清の証言により真正に成立したと認められる同第二一号証、証人稲部正徳、同花井義定、同西本力蔵、同安達重夫、同浅木重信、同藪下菊治郎(一部)、同烏帽子田清及び鑑定証人石橋武男(第一、二回)の各証言、鑑定人石橋武男の鑑定及び検証(第一、二、三回)の各結果によると次の事実が認められる。

(イ) 建設省地理調査所(旧陸地測量部)が新たに測量して原図を作る場合、市町村界については原則として関係市町村の吏員が現地で立会のうえ確認した位置を測図するとともに、関係市町村長の証明を徴し、又修正測量の際は各市町村毎に徴する地名調書中に前の測量以降の境界の変動の有無について記入を求めている。本件係争地附近は大正元年頃当時の訴外陸地測量部が新たに測量して五万分の一地形図を作成し、昭和五年その一部を修正したが、その際関係町村から提出された地名調書によると、関係町村である当時の訴外富山県婦負郡大長谷村(総理府告示第四六一号により昭和三二年一一月一日同郡八尾町、野積村、仁歩村、及び大長谷村を廃し、その区域が八尾町となつた)村長、訴外岐阜県吉城郡河合村村長、訴外同坂下村村長はいずれも前回の測量以降(明治四三年乃至大正元年以降)境界に移動がない旨証明している。昭和二二年三月三〇日地理調査所発行の五万分の一地形図高山十四号白木峯(乙第一二号証の一)は本件係争の境界すなわち別紙図面1点から13点に至る境界附近ではその地形の表現、境界線の位置とも大正元年測量した原図と相違がないものであるが、右乙第一二号証の一によると、本件係争の境界は図面1点(小白木)から尾根を南下して古80、国界1を経て21点に至り同地点から西方に略真直ぐに13点に至る線によつて表示されている。

(ロ) 昭和五年夏頃右一部修正にあたり右陸地測量部の係官及び大長谷村、坂下村、河合村各役場の係員は図面20点附近において同地点が右三村の境界点であることを確認し合い、附近のぶなの木の皮を剥いで三村係員が押印し、同時にまた図面7点附近において、同地点が大長谷村と河合村の境界点であることを確認し合い、附近の栃の古木に前記のように印を押した。

(ハ) 大正の初め頃から昭和初期頃まで図面26点附近に、岐阜県及び富山県の境界の標柱が建てられていた。

(ニ) 右地形図「白木峯」の本件係争境界である前記の境界線は大正元年以降そのまま関係市町村により容認されてきたが昭和二六、七年頃に至りはじめて当時の訴外河合村村長は右境界線に従えば同村大字二ツ屋字四百間の大部分の地域がなくなると当時の訴外地理調査所に苦情を申入れた。同庁は昭和二八年頃米軍撮影の空中写真を利用して応急修正版を作成したが、右空中写真によると、図面21点から13点に至る境界線附近の地形の表現を改める必要が生じ、そのため境界の正しい表示が旧図のままでは困難となつたため図面21点から、13点に至る境界線を削除して未記入として河合村八尾町境界未調査なる旨記載した。

(ホ) 本件第一回検証当時岐阜県一八一林班区の標柱が26点附近に建てられており、同地点より北側には岐阜県の林班区は存在しない。

(ヘ) 一三番の山林の前所有者である訴外富山木炭株式会社は9点及び19点の右岸附近の立木を伐採したが、これに対し原告は何ら異議を申し出なかつた。

(ト) 訴外富山県は奥地開発林道大長谷川線工事を施行し、昭和二九年本件係争地域内である9点附近にコンクリート橋を架設し、同所から7点まで幅約三、六米の林道を開設したが、これに対しても原告及び河合村或いは岐阜県は何らの申出もしていない。

(チ) 右林道開設にあたり、一三番及び一四番の山林の前所有者訴外富山木炭株式会社は受益者として負担金を納入している。

(リ) 本件係争地域の山林はぶな楢の原生林であり、本件第二回検証当時原告主張の図面1点から古90に至る境界線は一応尾根の線と認められるほか何ら境界の標識を示す物はなく両側の林相にも差異は認められない。また被告ら主張の境界線は小白木峯から南下する尾根伝いに行くものであるが図面4点以西5点までの地形は複雑で尾根は谷川によつて分断され21点以西の境界線の左右の林相に相違は認められず、図面1点から国界1まで国有林界の標識が所々に散在するが、県境を識別するに足りる標識は何ら存在しない。(もつとも第三回検証の結果によると、図面27点及び28点に人工的に傷をつけられたと思われる楢の大木が存在し、証人武藤政信の証言によると、それは約六〇年前訴外若杉某が境界木として傷をつけ残したものであるというのであるが、隣接地所有者の承認もなく一方的に決めたものであるからこれをもつて直ちに境界木と認めることはできない。

(2)  右認定に反する証人藪下菊治郎の証言の一部及び原告代表者本人尋問の結果は信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。(又証人藪下菊治郎の証言により真正に成立したと認められる甲第三号証はその内容が不正確であることは同証言により明らかであるので右認定を左右するに足りない。)

(3)  前記認定事実によると少くとも大正元年以降昭和二六、七年頃に至るまで関係町村及び原告を含めて関係山林所有者の間で、前記乙第一二号証の一(地形図)に表示された境界線、即ち別紙図面1点(小白木)から尾根を南下して21点に至り、同点から略真直ぐに西方に向つて13点に至る線をもつて本件係争の境界線として取扱つてきたことが認められるから本件係争の境界は右地形図に表示された境界線であると認めるのが妥当であると考えられる。ところで右地形図の境界線のうち小白木峯より21点に至るまでは、尾根づたいに南下する線であるから、別紙図面1点(小白木)から古80、国界1を経て21点に至る尾根の線であることは地形上疑ないが、右21地点から13点に至る境界線については前記のとおり昭和二八年右地形図の応急修正版作成の際削除された事情にかんがみ、しかく明瞭ではない。前記地形図白木峯(乙第一二号証の一)の本件係争の境界附近の地形をみると、境界線は図面21点附近から地形上高い部分を通つて略西方に向い、25点附近から低い部分を通つて(低い部分ではあるが河川は記入されていない)26点附近に達し、同地点から尾根の線を上つて略西方に13点附近に至る線と記入されている。そこで右地形図の境界線と現在地形的に最も合致し、しかも距離的に最も近い境界線を求めると、それは図面21点(建設省地理調査所昭和二八年修製五万分の一の地図の岐阜、富山両県の県境の東部の末端に当る地点)から略西方へ土地の最も高い部分を辿りつつ22点、23点、24点を経由して25点に至り、同地点から西方に流れるジヨロジヨロ谷にそつて26点に至る茶色の線、同地点から7点、同地点から尾根を上つて古90に至る緑色の線、同地点から8点を経由して13点(同地図の岐阜、富山県の県境の西部の東端の末端に当る地点)に達する線によつて表示される境界線がこれにあたるものと認められる。

従つて二二五番の二山林と一三番との境界は右の図面21点から26点に至る茶色の線、二二六番の二の山林と一四番の山林との境界は26点から古90に至る緑色の線であることになる。

(4)  以上説明した理由により本件係争の境界を前記のとおり認定したが、なお右境界についての原被告の主張に対し以下に判断を示す。

(イ) 請求の原因(五)の(1) (2) について

甲第六号証によると原告主張のような記載及び絵図面の墨筋がみられる。しかし右甲第六号証は幕府裁決書の写と認められるが何人の作成にかかるものか明らかでない。仮りに甲第六号証記載のような裁決がなされたとしても右文書に所謂「白木峯より西方境谷、金剛ケ嶽峯通」の西方境谷がどの地域を示すものか、又絵図面中の「境目石垣」なるものがいかなる地点を示すかは全く不明であつて原告主張の境界線を意味するものとは即断できない。(むしろ第二回検証の結果によれば図面5点に人工の石垣のような物の存在することが認められるが、これをもつても直ちに右に所謂境目石垣と判断することもまた困難である。)

その方式及び趣旨により真正に成立した公文書と推定すべき甲第七号証(陸地測量部明治二三年輯製製版同三四年修正「高山」地形図によると前記本件境界の記載が大正元年測量のものと異つていることが認められるが、右記載によると原告主張の境界線よりもなお北方を迂回しているようにみられるから必ずしも原告主張の境界線の論拠となるものとは認められないのみならず、右地形図は二〇万分の一の図面であり、其の後新たに前記認定の如き手続のもとに作成された大正元年作成の五万分の一の地形図に比較すればその信頼性は遥かに低いものと考えられる。

そしてまた仮りに徳川時代に原告主張のように飛騨と越中国境が決められたとしても明治時代以後引き続き右境界をもつて富山、岐阜両県の県境としたものとは前記認定事実に照らして容易に認め難い。

(ロ) 同(五)の(3) について

成立に争のない甲第一号証、第五号証の一ないし三によると明治三九年吉城郡坂下村大字万浪字小坂谷外一三国有林境界査定が行われた際図面国界1から1点(小白木峯)までは、当時の字四百間二二五番山林の所有者訴外中川源次郎の代理人訴外今井慶三が、小白木峯以北は大長谷村長訴外浅木重美がそれぞれ立会した旨記載されている。しかしその方式及び趣旨により真正に成立したと推定される甲第五号証の四によれば当該査定官吏は岐阜県、富山県に対し立会を求めているにも拘らず(ただし前同様真正に成立した公文書と推定される甲第五号証の六によると富山県は立会しない旨回答している)大長谷村に対しては立会を求めたことを認める証拠がないので果して右大長谷村長が真実立会したかは疑わしいが、仮りに立会しているとしても小白木以南の境界線の西側が河合村に属していることを認めたものとは前記認定の各事実に照らして推認できない。

(ハ) 同(五)の(4) 、(5) 、(7) 、(8) について

右主張にそう証人藪下菊治郎、同下堂前清の証言及び原告代表者本人尋問の結果は前記三の(一)の(1) 挙示の証拠に照らして信用できず他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(ニ) 被告ら主張の境界線の中21点以西7点に至る境界線については被告ら自身その主張を再三少しづつ変更していることから被告ら自身右部分については確信のない証左といわなければならない。そして右部分の被告ら主張の線が一応尾根の線と認められるほか境界線であることを認めるに足りる証拠のないことは前記認定のとおりであるが、被告ら主張の境界線附近には被告ら主張の尾根以外にも尾根の線と認められるものが存在するのみならず、前記認定のとおり地形図「白木峯」の境界線は一部土地の低い所を通ると認められるから尾根の線のみをもつて境界線と認め難く、また被告ら主張の境界線によると前記「白木峯」地図に記入された境界線より相当南方へ彎曲して通ることとなるので右境界線についての被告らの主張も採用することができない。

(二)  二二五番の二山林及び二二六番の二山林の境界中一三番の山林及び一四番山林との境界以外の原告主張の境界線については被告らはこれを明らかに争わないから自白したものとみなす。そうすると原告所有の二二五番の二山林及び二二六番の二山林の範囲は主文第一項記載の地域となる。

四、被告らの取得時効の抗弁について判断する。

弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一号証の一、七によると、右大長谷村は本件係争山林を含む山林十数筆の立木を昭和一四年八月二七日訴外重原正重に売却し、同年九月一一日から九月二一日双方立会のうえ周囲境界地点の立木又は岩石に〈界〉記を付して引渡をしたことが認められるが、右山林は広大な地域であり、本件係争山林についてもいかなる地点にどの程度に右記号を付したものか明確でなく、かつ本件係争山林は前記のとおりぶな楢の原生林であるから、被告らが(前所有者を含めて)占有を継続したというがためには、前認定程度のことでは足りず継続してその支配下にあつたことが客観的に明らかであることを必要とするが、これを認めるに足りる証拠はなく、結局取得時効に必要な占有は認められないから被告らの右主張はその余の点について判断するまでもなく、理由がない。

五、被告八尾町は原告所有の右各山林の範囲を争つているから原告は同被告に対し山林所有権確認の訴について確認の利益を有する。

第三、山林立入及び立木の伐採搬出禁止の請求について

被告会社は前記認定の範囲の原告所有山林内に立入り、地上立木の伐採、搬出することについて原告に対抗し得る権原のあることの主張立証のない本件においては同被告は主文第一項記載の原告所有山林に立入り或いは立木の伐採搬出をしてはならない義務があることは言うまでもない。

第四、損害賠償請求について

原告は被告会社が右原告所有の右山林内において不法に立木を伐採し原告に損害を与えたと主張するが原告提出援用にかかる全立証によるも前記認定の範囲の原告所有山林内において、被告会社がぶなの立木を伐採し、搬出したことを認めるに足りる証拠はないから、その余の点について判断するまでもなく右請求は失当である。

第五、以上の次第であるから原告の本訴請求のうち所有権確認及び山林立入禁止、地上立木の伐採搬出禁止を求める請求については主文第一、二項掲記の限度でこれを認容し、その余の請求については理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村本晃 梅垣栄蔵 三浦伊佐雄)

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